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2012年3月 1日 (木)

出遭いを求めて

人生のスパイスは出遭いだ。
出遭いが劇的であればあるほど、人生は豊なものになるような気がする。
それは、なにも人と人に限った話ではない。

かつて秋葉原にヤマギワソフト館という5階建てのお店があったことは、私と同年代で秋葉原に行った事のあるひとなら覚えているだろうと思う。音楽ソフトから映像ソフト、パソコンソフトまで扱っているお店で、上から下までぐるっと巡れば新作チェックが出来てしまう便利なところであった。
そんなヤマギワソフト館のアニメフロアで、流れていた歌が私の心につきささったことがある。
店内を徘徊していた足を止め、意味もなくスピーカーがあるであろう天井をみあげる。
透き通った女性ボーカルと、古風な言い回しの歌詞が印象的であった。
はっと気がつくと、曲は別のものにかわっていて、しかもボーカルもまるっきり替わっていた。さっきの曲はなんですか? と店員さんに訊こうにも、曲の感触しか残っておらず、歌詞の一端も出てこない。視聴機をかたっぱしから試してみるもお目当ての曲がわからない。店内を流れる曲は次々変わるから、何曲前だったのかももうわからない。さらに悪いことに、閉店時間も迫っていた。でも、ここで手放したら二度と曲の感触すら思い出せそうにない――
うつろな視線で店内を見渡しながらも、その時の私は妙に冴えたことを考えたものだった。
「店内でかかっていたのはきっと新曲。おそらくシングル。今期のアニメの主題歌。歌詞に古風な言い回しが多かったので、きっとタイトルは漢字」

2006年当時に一か八かで買ったのがTVアニメ「うたわれるもの」OP主題歌 夢想歌
わたしの心を捉えたのは、表題曲ではなくカップリングの「星想夜曲」のほうであった。
この小さな奇跡に運命を感じないはずもなく、ボーカルのsuaraはいまや大のお気に入りであったりする。

小説とだって劇的な出会いがある。
もうずいぶん前だが、偶さか入った書店の棚でみかけた六番目の小夜子 (新潮文庫)
そのとき背筋に走った寒気は、いまでもはっきりと覚えている。
当時はまだ恩田陸はデビュー間もない頃で、わたしはまだその名を知らなかった。

アマゾンやiTunesもいいのだが、出遭いを求めて、ときどきはお店に足を運んでみるのが人生を楽しむこつであろう。

夏乃市

2012年2月24日 (金)

ラストバレンタイン

2月24日である。
一般企業のサラリーマンにとっては今日は給料日ではなかろうか。
サッカー日本代表が、キリンチャレンジカップでアイスランドと戦うのも今日だったはずである。
でもまあ、もちんそんなことはどうでもよくて、今日はバレンタインデーの10日後である。

このブログはエー文芸部という弱小小説サークルの公式ブログである。
記事を書いているは私だけだが、コミケに合わせて冊子『エー文芸』をつくるとなれば、10人程度は人があつまる──そんな規模のサークルである。
みんなそれぞれに個性的な作品を書く連中で、もっと多くの人に読んでもらいたいなあと思っているが、主催の私の力不足もあり、売り上げはなんとももの悲しい有様である。
そんな我々の冊子『エー文芸』は過去に10回ほど発行していて、11回目は次の夏コミに合わせて作る予定にしている。興味を持った向きは、ぜひお声をおかけいただきたい。

そんな『エー文芸 第3号』に私が書いた作品が以下である。

『ラストバレンタイン』

今まで短編は結構書いたが、この作品が実は一番気に入っている。
バレンタインデーから10日程もすぎてしまったが、それでもこじつけるにはなんとか許容範囲の時期だろうと判断して、ここでこうして紹介させていただくことにした次第である。
ほんのわずかのお時間を頂戴して、お目を汚していただけると幸いである。

え? 現実のバレンタインデーはどうだったかって?
もちろん、彼女からのチョコレートは大変おいしくいただきました。

夏乃市

2012年2月21日 (火)

それは人か、人あらざるか

近未来、人間の手で作られた、人間にそっくりの存在が、人間のパートナーになる――というネタが、SFの世界には掃いて捨てるほどある。
だれもが、真っ先に思い浮かべるのはフィリップ・K・ディックのアンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫)だろうし、私はエイミー・トムスンという女性作家が書いたヴァーチャル・ガール (ハヤカワ文庫)という作品が好きであった。
漫画では手塚治虫『鉄腕アトム』を筆頭に据えれば、かなりの数の作品が括られてしまう。近年では史郎正宗の『攻殻機動隊』なども秀美だといえるだろう。

さて、あの手この手で考え出されたヒトの形をしたヒトならざるものであるが、それをヒトとして認めるのか認めないのか、という点が物語の大きなポイントになることが多い。
さらに言えば、作られたヒトもどきたる存在と人間との恋は許されるのか、いや成立するのかという話が究極であり、綺麗にまとめてみれば「人と人造人間との共存は可能か?」という命題に収斂する。
この議論をはじめると紙幅が幾らあっても足りないのだが、我々日本人は、現実はともかく、お話としての作られた存在との共存に対して心理的バリアが圧倒的に低い。
原因はいろいろとあげることができる。八百万の神を信じる我々は、薬缶にすら魂が宿ることを信じることができる、という下地がある上に、鉄腕アトムやドラえもんの影響も計り知れない。
一方で、キリスト教圏の拒否反応はかなり強固だ。スティーブンス・ピルバーグのA.I.という映画があったが、ロボットたる主人公のたどった末路が、我々にはまるっきりハッピーエンドに思えなかったことを思い出してほしい。

そんな議論は酒の肴にするくらいありふれたものなのだが、最近話題の和製SFはひと味違う。
籘真千歳のスワロウテイル人工少女販売処 (ハヤカワ文庫)という作品である。

人間の男女が直接愛し合うことが出来なくなった近未来の東京。そこで、人のパートナーとして創られた人工妖精たちの物語。人工妖精は男型も女型も存在するが、それは男女とは違う第3の性として認識されている、そんな世界──

物語は、良くも悪くも現代風のテイストを持って展開する。
登場するのは、ゼロ年代以降のマンガやアニメのご多分に漏れない美少女たち。
主人公の人工妖精『揚羽』にいたっては、ボーカロイドの初音ミクを重ねたくなるのは私だけではないだろうと思う。表紙に描かれたイメージイラストに負うところがもちろん大きいのだが、それよりなにより、希薄でいて、それでも奇妙に人を魅了する硬質で透明な存在感が、今時の典型的なヒロイン像であるからなのだ。

前出の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』をリドリー・スコットが映画化した『ブレードランナー』では、暗く、重く、錆付いた未来が描かれた。
『スワロウテイル』に描かれる未来も、決して明るいものではないのだが、それでも、人工妖精たちは軽やかにそこを通り抜けていく。
『ブレードランナー』のレプリカントに代表される創られた者たちは人類の鬼子であったはずだが、いつのまにかそれは妖精へと変質していた。もちろん、これは時代の流れというやつだ。
だとするならば。
近い未来、彼女らは本当に、実体を持って我々の目の前に現れることになるに違いない。
本当に彼女らを目の前にしたとき、我々はそれを何番目の性として捉えるのだろうか。

夏乃市


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